君思う、故に我あり
- 2012年 3月11日
- 投稿者 : halkc
我思う故に我在りといったのはデカルトですが、人間とは相対的なものであって他者の認識によってその存在や姿を変えるものだと思います。いきなりどうした。こんばんは、私ですよ!
友人のブログを読んでふーんと思ったのでちょっとブログについて書いてみようと思います。
ブログの体裁や一人称というのは、書き手のイメージを固定する上で大事な事です。さらに言うならば、書くテーマを限定すると集客という意味で効果的だと思われます。はさておき、
私は一人称は御存知の通り、ほぼ「私」を使用しています。ほぼと言いますのは、時々「ワタクシ」も使用しているからです。実は普段使用している「私」も、「わたし」ではなくて「ワタクシ」と読みます。という設定です。だから「ワタクシ」と「私」は同じなのです。読み手は「気分で変えてるのかもな」と思うかもしれませんが、そのような個人的な要素ではなく、ただの予測変換の産物です。つまらなくて申し訳ないのですが、Google次第です。要するに適当なのです
しかし、そんな適当な私ですが、決め事というのも実はちゃんと存在しています。一つは、「私です、こんばんは」や「こんにちは、私です!」など冒頭部の挨拶です。ただの私アピールですから特に意味はありません。敢えて言うなら様式美というものですね
次に、いわゆる硬い日本語で書くということです。どーでもいーこと、他人が興味を持ちそうにないくだらないネタ。アホな話、Hな話も、とにかく平易な日常の話題を何故か硬い日本語に変換して書きます。しかしこれは単なる要素の一つに過ぎません。一番大事なことは、本来の私との乖離です
私はいつも、非常に汚い日本語を使用しています。胸を張って言うようなことではありませんが、悪態上手です。男性的口語の使い手です。ほぼマスターだと思います。
だからここでは、硬く丁寧な日本語で書くという決め事を遵守しているのです。ブログやSNSというものは第二の自分を生み出す快楽というものが存在するように思います。私にとって、リアルな日常の自分、オフィシャルな自分と違う自分であることを大事にしたいのです。わかりづらいでしょうか
つまりこういうことです
設定:腹が立つことがあった
実際の私「クソが!死ねばいいわ!!」と怒りと自分の短気さ具合をありのままに表現します。どなたにでもご理解いただける安定と信頼の表現法です
仮の姿の私「クソが、と思ったのです。その時私は」などと倒置法を使って怒りを文学的に表現します。少々わかりづらい場合もあるかと思いますが、これが大人の表現法です
わかりづらいでしょうか。もうちょっと面倒くさくなって来ましたので、本当にわかりやすくお伝えしますと、ここに二人の私が存在することになったわけです。感情の赴くままに行動する人間的な私と、感情に流されず冷静かつロジカルに事を運ぶ私です。こういうことこそがブログの醍醐味であると、私は思うのです
実際問題、普段の口調で書くと我ながら読むに耐えません。以上です
日記
足が二倍くらいになってるよぉ…
全ギプスになった日の夜、猫が足を凝視してて笑ったのだが、これじゃガン見するっていうw













